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挨拶の出来ないお嬢さん!

最近ちょっとショックな出来事に立てつずけに三つも出会いました。
その1、地下鉄での出来事です。
駆け込んできた女性の目の前で電車のドアが閉まり、同時にホームのドアも閉まり、彼女は二つのドアに挟まれてしまいました。私は思わずあっ危ない!と叫んでいました。そばにいた青年が車内の非常ベルを押しました。周りの人たちはみんな緊張しました。後ろの車両だったので車掌さんが跳んで来て、すぐドアを開けました。みんなホッとして思わずフーッと息を吐き胸をなでおろしました。皆は笑顔で彼女を迎えました。
しかし、彼女は誰とも目を合わせず、ニコリともせず、無言のままカッカッと車両の中へ入って行きました。みんなもちょっとびっくり!私は胸苦しい悲しい気持ちになりました。何故彼女は「有難うございました」と一言言えなかったのでしょうか?
その2、新宿駅に着いた電車から降りようと席を立った若い女性の膝からするりとスマホが落ちました。「あっ落ちましたよ!」と私は声をかけました。後ろにいた女性がきずいて拾ってくれた時、落とした女性が振り返ってそれを掴み取るとにこりともせず、一言も発せず降りて行きました。どうして有難うの一言が言えなかったのでしょう?
その3、バスが止まって乗客が降り、バスが発車しようとして動き出した時、前に座ってスマホに集中していた若い女性が慌てて降りようとし運転手もびっくりして車を止めドアを開けました。女性は「すみません、」も「ありがとう」もなく慌てて降りるとすぐスマホに向かっていました。どうして一言お礼が言えなかったのでしょう?
いずれもたまたま若い女性でした。とても残念です❗️
全く人のことに無関心だったのでしょうか?とっさに声が出なかったのでしょうか?
何れにしてもとっさに声が出れば、素直に気持ちが出せるようになり、心も柔らかくなるのではないかとおもいます。
だから、ボイストレーニングをしましょう❗️
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5月から6月へ

4月からいろいろと忙しく、すっかりご無沙汰してしまいました。すみません。

今年は地球温暖化の影響でか、さわやかな5月の風に気持ちよく髪をなびかせるという日は少なく、強い雨や強い風の吹く荒々しい日が多く、電車の事故も多く、また息も止まるような不気味な犯罪も多発して、巷に不安な空気が蔓延しています。

毎日の通勤電車でも、私の気のせいでしょうか?いかにも不機嫌な顔をしている人が多いように感じます。それも若い男性や若い女性に今にも切れそうな人たちが多くなったような気がしてなりません。なぜなのでしょうか?

中学高校生は青春の真っ盛り!黙っていてもはちきれんばかりの若さで周りを圧倒する存在でしょうが、このごろは溌剌と言う言葉が忘れられるほど、つまり溌剌とした存在に感じられないのです。不気味な不機嫌のかたまりのようです。一体どうしてしまったのでしょうか?

勿論急にそうなった訳ではないでしょう。小さいときからの暮らし方の影響で、普通に真面目に生きてきたにもかかわらず、どこか疲れたような、身体をゆがめて引きずって歩いている、生命力やパワーが不足してしまった若者が多くなっているのではないでしょうか?
一体若者からパワーを奪っているのは、何なのでしょうか?!

ちょっと極論のように聞こえると思いますが、これはネット社会のマイナスの面だと思います。
幼年から少年少女の時期に全身を使って駆け回って遊び、身体全体で喜びを表現し、悲しみを味わい、温かさも冷たさも痛さも体験し、力をあわせる楽しさや頑張る喜びもしっかり味わうことが五体満足な成長を促すのです。

そして満足するためには身体中を使って声を出すという行為がその中に必ず含まれているということが重要なのです。声を出すことは生命力を喚起させます。

声を出すことによって自分の内部から力を引き出し、他人と共鳴し、同じ喜びを味わうという一体感を持つことが出来るのです。いまの若者にこういった経験が少ないということが問題です。
そこを何とか回復させなければなりません。
ボイストレーニングはその一助となるものと信じてわたしは今頑張っています。

皆さんも是非、自分の未来のために、人生を明るいものとしてゆくためにも、声を出してみてください。

 
2007.5.21初出

よい声は活力の源

今年の暖冬は例年の暖冬とはかなり違って暖かさが例年の常識を飛び越えています。
暖かいから過ごしやすいかといえば、そうでもなく、身体は例年のように寒さに適応しようとし、でも適応できず、なんとなく不安定な感じです。結構体調を崩している人も多く、春の喜びが感じられません。

いよいよ花粉の飛ぶ季節にもなり、頭がぼぉーとし、からだが重い日々になってきました。自然を壊せば結果的には私たちの生存が脅かされることになる、ということはずいぶん前から色々言われてきていますから分かったような気がしている人も多いと思いますが、実際に自分たちの生活を変えることはなかなか出来ないものですね。ただただ楽をするのも、便利さを追求するのも、ほどほどにしなければなりません。

人間は生物であり、動物です。自分がサイボーグでもなく、人形でもなく、血の通った人間であることを現実に捉えられない子ども(大人もかも)たちが出現してきていることをとても心配しています。
「声を出す」ということは、動物が持っている根源的な能力です。

「良く声を出す」ことは、自分がいきものとして生きているということを確認することなのです。気持ちよく声を出すことを忘れてはなりません。自分から気持ちよく声をかけ、相手から気持ちのよい声で返事をもらうことが人間生活の、活力の源です。

豊かな自然の中で暮らしてきた日本人は、もともと良く透るきれいな声を持っていたと思われます。自然が豊かで変化にとみ、その自然の音がいずれもとてもきれいだったからです。透き通った水の音、風にそよぐ木々の音、澄んだ空気の中を貫く鳥の声、集く虫の音、川の流れの音、海の波の音もみんな豊かに人の身体や心に響いて、人々は自然の中に自分の声も溶け込ませていきました。そしてこれらの音を言葉の中に取り込んでいったのではないでしょうか。

日本語の持つ母音の音は、自然の音とよく共鳴するように出来ています。古代の人々は、自然の中でおおらかに語り合って心を通わせていたのではないでしょうか。

残念ながら現代の都会生活は、豊かな自然の音を失っています。そのうえわたしたちの日々の暮らしの中には、心地良くない騒音があふれています。車の音、オートバイの音、工事の音、電車の音、冷蔵庫の音、エアコンの音、などなど数え上げればきりの無いほど不快な音にかこまれています。そこに気持ちのよい人間の声が無ければ、心安らかに暮らすことが出来ないのです。

気持ちのよい声を出すということは、本当に大切なことです。
日々、気持ちのよい声を聞き、気持ちのよい声を出していたら、他人を虐待したり、いじめたりしたくならないはずです。

自分が元気でいられるためにも、気持ちのよい声を出すように心がけましょう!


2007.2.16初出

遠くまで飛ぶ声

 九月に入ってもいっこうに涼しくならない今年の天候です。
いささか夏の疲れが出てきていますが、皆様は大丈夫でしょうか?風邪を引いている人も多く、暑いのに急に明け方に気温が下がったりすると、喉をいためやすくなります。どうぞ気をつけてください。
 
 声についての色々な発見は、尽きることなく、飽きることなく現れてきます。
最近お教室で、「声を届ける」という練習をしました。少しはなれた人に声を届けようとすると、多くの人が頑張って力を入れます。どこに力が入るかと言うと、声がちゃんと飛ぶ人は、お腹に力が入っていますが、頑張れば頑張るほど声が飛ばなくなる人の場合は、胸や肩に力が入っているのです。

 下腹部に力を入れて出す声は、上に向かい、弧を描いて飛んでゆきますが、肩に力が入ると声を下に投げ落とすようになり、すぐに下に落ちてしまいます。近くの人には大きな声に聞こえますが、ちょっとはなれた人にはよく内容が聞き取れません。胸に力が入ってしまうと声を押さえてしまうので、これも遠くに飛べずに途中で声が落ちてしまうのです。

 透る声と言うのは、遠くまで飛ぶ声です。遠くまで声を飛ばすためには、息を飛ばさなければなりません。やはり呼吸が大切なのです。最近マスコミでも「腹式呼吸」が健康を維持し、ダイエットにも効果があって、ナイスボデイを創るのにも非常に有効であることが取りざたされていますが、そのとおりだと思います。

 腹式呼吸とひとことでいっても実は指導の仕方が様々です。身体が反応するためには、正しく、くり返し練習しなければなりません。

 昔の人は、日常生活のなかで、身体を使い、力を出し、大きな声もちゃんと出していましたので、腹式呼吸はいつのまにか身についていましたが、現代人は力仕事をほとんどしなくなり、日々の暮らしの中で大きな声が必要なくなってしまったので、呼吸の能力も落ちてしまったのです。

 呼吸をする練習をしなければならないなんて、人間にとって生きる力の根本に係わる危機が来ているのかも知れません。これはゆゆしき問題です。

   
2006.9.11初出

暑い季節には涼しげな声で

 雷鳴とどろき、スコールのような雨が30分ほど降り続いた後は、そんな雨など忘れたように強い日差しが戻ってくるという、東京地方は、まるで亜熱帯のような今年の梅雨です。
 コンクリートジャングルは、夜になってもまったく涼しくならず、窓を開ければ熱風が吹き込んでくるという悲惨な状態で、かえって風邪を引いている人が増えているようです。

 またこの蒸し暑さは身体を相当疲れさせますので、トレーニングもいつもより厳しく感じられるようです。汗をかいて気持ちがよいと言う人もいれば、汗をかくのがいやだと言う人もいて、冷房を入れようか入れるのをやめようかと、考えてしまいます。
 冷房を入れて締め切ってトレーニングをするよりも、窓を開けて風を通しながらのほうが、本当は気持ちがいいのですが、窓を開けると熱風が吹き込んでくる都会では思うようにはいきません。それでもこういう暑いときに身体を動かして声を出すとかえって身体が軽くなってストレスが吹き飛ぶのです。
 みんなふうふう言いながらもあー気持ちがよかったと言って帰っていきますので、トレーニングの効果はあがっていると思います。冷房の中でじっとして身体を硬くしているといつの間にか老化してきますのでご注意下さい。

 これからの夏の暑い季節には是非、暑苦しい声を出さないで、涼しげな声を使って会話をしていただきたいと思います。涼しげな声とはどんな声か?周りの声を少し注意して聞いてみてください。あっこれだ!と思う声に出会ったら、その声を真似してみるとよいでしょう。

 身体の力を抜いて、おだやかな、ゆったりとした、静かな声を、すうっと透る声を、出していただけると、とても涼やかに聞こえるでしょう。是非トライしてみて下さい。

   
2006.7.17初出

何気なくあいさつできること

 今年の桜はなかなか見ごたえがありましたね。
 満開になった桜がすぐには散らないで、雨や風に耐えて持ちこたえてくれたからだと思います。暖かい日が続かなかったのが幸いしました。本当に「禍福はあざなえる縄の如し」で、人々にとっていささか厳しい春の寒暖の差が、桜を長持ちさせ、その桜をめでる心が、寒暖の激しい気候を乗り越える力にもなっている、人々に生きる力を与えてくれているということを感じさせてくれました。
また散り残った桜も、なんとなく健気で、萌え出ずる若葉を待つやさしいお姉さんのようにみえました。

 日本中を桜の花で埋めるこの季節は、人々の心をもっとも穏やかにしてくれるはずなのですが、自然を観ず、自然を感ずることの少なくなってしまった現代の日本人は、身体も心もひしゃげてしまったのでしょうか。相変わらず心胆寒むからしめる事件や事故が後を絶ちません。
 今日も出勤途中でなんとも腹立たしいというか情けないという出来事にぶつかりました。
 (私はいつも苦言を呈したり、嘆いたりしてしまうのですがこれも年寄りの冷や水でしょうか。)

 またあのサンダルをカンカン鳴らして歩く季節になりました。若い女性の多くがミュールサンダルの音を響かせて駅の階段を上り下りします。あの音は頭に響いてトテモ苦しい騒音です。
履いている本人はあまり気にならないのでしょうか?人に苦痛を与えていることをまったくきづかないのでしょうか?それともすでにあの音を快感として受け入れているのでしょうか?一度聞いてみたいものだと思っていますがーー。

 そんなミュールを駅の階段を上っていた若い女性が引っ掛けて落としてしまいました。
後ろから上っていた若い男性がそれを拾って差し出しました。若い女性は黙ってそれを足で引っ掛けるようにして履き何も言わずに歩き出しました。私は二人は知り合いかと一瞬思いました。しかしその男性も黙ってスーと別の方向に歩いていってしまい、靴を拾ってもらった女性は、にこりともせず、頭も下げず、ありがとうとも言わず、ルイヴィトンのバッグを掛けた肩をゆすって、ひきずるようなミュールの音を響かせて去ってゆきました。

  私はあっけにとられました。なぜ「ありがとう」の一言がいえなかったのだろう?なぜちょっと頭を下げて感謝の気持ちを伝えることをしなかったのだろう?
これが今の日本の若者の心の硬さなのだろうか?いろんなことを考えさせられたと同時に、とても暗い気持ちになりました。

  私はいつも、(このコラムにも何度か書きましたが)咄嗟に声を出すことの大切さを説いています。これはわたしたちの命の営みであるとともに、コミュニケーションの基本であります。
物事を平和的に解決するために欠かせない力になるものです。何気なく、すっと気持ちよくあいさつできること、人の好意や善意をキャッチできる能力を養うことこそいま教育に(学校教育だけのことではありません)求められているのではないでしょうか。

 気持ちよくあいさつできることが自分にとっても人にとっても、生き生きとした人生を送る第一歩であることを是非わかっていただきたいと思います。
そのためにも、すっと声が出るようになるボイストレーニングは大切です。


2006.4.10初出

よい声で人生前向きに

 3月に入ると三寒四温という言葉が現実味を帯びてきます。寒暖を繰り返しながらようやく春分にたどり着くと、植物も動物も私たち人間も一様にほっとするのです。

 春の特徴は「やわらかい」ということに尽きると思います。芽吹く草花たちの柔らかさ、花開く木々たちのやわらかさとあたたかさは、春の宝物です。
桜の花のあの柔らかい雰囲気がたまらなく人々を喜ばせるのでしょう。桜の花が咲くと桜の樹はトテモやわらかい「気」を出します。やわらかくてあたたかいさくらの「気」は、身体をゆるやかにし、心ものびやかにしてくれますので、人は桜の木の下で歌いたくまた踊りたくなるのです。

 桜の木の下で発声練習をすると、思いがけないほどよい声が出ます。あれっ?こんなに私はいい声だったかしら?ときっと思うことでしょう。一度是非ためしてみてください。  
でも、お花見で大きな音でスピーカーを鳴らし、カラオケ大会をするのはいただけません。あのカラオケのガンガンした音の振動でせっかくの桜の「気」は飛び散り、桜の柔らかさとあたたかさを味わうことが出来ないからです。木も可哀相ですね!

 よい声を出すには、身体がやわらかいということが大切です。身体が柔らかくなるようにトレーニングするボイストレーニングは、同時に健康な身体作りをしていることになるのです。
身体が丈夫になってよい声が出ると、人はみんな生き生きとして前向きになります。

 身体がやわらかくなってくる春は、トレーニングを始めるのに絶好な時期です。
皆さんもいらっしゃいませんか?  
ご一緒に楽しくボイストレーニングをいたしましょう!


2006.3.6初出

微妙な心を伝え合う声

 2006年が明けて、はやいものでもう2月。立春を迎えます。
 春は名のみの風の寒さや――本当に寒い日が続いています。
今年は日本海側各地の大雪のニュースが連日のように報道され、毎日のように雪に埋もれて人が死ぬという事態は、これまでに経験したことの無いような事態です。

 北極の寒気が降りてきているので、日本だけではなく、ヨーロッパでも寒波の影響で生活に支障が起きていることや、ロシアでもマイナス40度を越すひどい寒波で凍死する人が出ていると報道されています。一体地球は如何なって行くのでしょうか。

 人間も含めてこの地球に生きる生物たちが生きにくい時代を迎えているような気がしてなりません。地球の上げている怒りや悲鳴を私たちは聞き取る力を失ってしまったのではないでしょうか。
自然の音に敏感であった日本人。身の回りにあるかすかな自然の息吹を聞き取り、その変化の警鐘を受け取り、それを言葉にしてきた日本人の感性は、今身の回りにあふれる騒音や機械の音に疲れ、その感性を鈍らせてしまったように思えます。それはゆゆしき問題ではないでしょうか。

 私たちは、自分の微妙な気持ちを声に乗せて人に伝えようとします。実はその声を聞き取る力と声を発する力は連動しているのです。微妙な声を聞きとることが出来なければ、微妙なニュアンスを声に出すことが出来なくなってしまいます。お互いに微妙な心の動きを伝え合い、確かめ合うことがとても難しくなってしまうのです。

 私たちにとって、愛情を伝え合うことはとても大切なことです。深い愛情を伝え合うには、複雑で、微妙な声の揺れが人の心のひだに届くことが必要なのです。声を聞き分ける能力が、愛情をキャッチする能力に結びつきます。勿論顔の表情も、体の動きも重要です。しかし声は相手の心の奥に響き、共鳴させます。深く強い結びつきを可能にさせる力があるのです。

 聞く力を磨き、声を響かせる力を磨くことこそ、豊かなコミュニケーションを可能にします。
 私たちが生きる力を磨くために、是非よい声を出すトレーニングをしていただきたいと思います。そして色々な出来事が待っているであろう今年も、生き生きと過ごしてゆきましょう。


2006.2.3初出

人の気持ちをやわらげ合う声

年の瀬も迫ってまいりました。今年はいつになく寒い12月となっています。
寒さと乾燥は喉の大敵!皆様充分にお気をつけ下さい。
鳥インフルエンザの流行も心配ですし、姉歯事件以来地震が来るとドキドキして、身体にもいやな影響が出てしまいます。
その上女の子を狙ったひどい事件が続発して、いったい日本の社会はどうなってしまっているのかと、暗い気持ちになってしまいます。
しかし今、子どもを守るためにどうしたらいいかと、学校も家庭も地域も、それぞれ真剣に取り組もうとしている様子がマスコミを通して伝わってきます。
ぜひお互いの連携を深め、知恵と力と情熱を出し合って、子どもたちを守るための方策を作り出して欲しいと思います。
と同時に、子どもたち一人一人に、咄嗟のときに大きい声を出して逃げられる力もつけて欲しいと思います。

私たちの暮らす現代社会では今、声によるコミュニケーションが減ってしまい、大人も子どももとっさに声が出なくなっています。
気楽にあいさつし合えたり、いつもご近所の人に声を掛け合うということがほとんどなくなり、地域の中に明るい声のコミュニケーションがなくなってしまいました。
このことと地域の子どもを守る力の減退とは深くかかわっていると思います。
また、人は犯罪を犯すところに行く前に、声に出して自分の悩みや苦しみを他人に話すことが出来たら、犯罪は防げたかもしれないのです。
家庭の中でも、学校でも、落ち着いた気持ちのよい会話が出来るように、ぜひ先生も、お父さんもお母さんも、ご近所の大人の皆さんも、心がけ、実践して欲しいと思います。

声は出さないで居ると出なくなります。急に出そうと思うとコントロールの効かない声になって、自分も人も不愉快にしてしまったりします。
いつもよい声が出せるように日ごろから少しずつ訓練することが必要な時代になってしまいました。
でもいつも気持ちよくあいさつしようと思って実践していただければ、きっと咄嗟のときにも声が出るようになるでしょう。

声のコミュニケーションで人の気持ちをやわらげ合うことこそ、安全安心へとつながると思います。
どうぞよい声を出して毎日の生活を、快適にしてくださるようお願いいたします。


2005.12.12初出

とっさに声が出るということ

10月もはや下旬になって、急に肌寒い日があるようになりました。暑さと寒さが激しく交錯して風をひく人が多くなってきています。私も夏の疲れが取れないうちに秋の繁忙期に入ってしまいいささかバテ気味です。コラムもなかなか書けなくてすみません。
でも気になる出来事がありました。いつも事件?は通勤の途中に起こります。

その日も疲れた身体を引きずって帰る電車の中、子供を抱いた若いお母さんがやはり疲れた顔をして立っていました。突然ガタンと電車が揺れ、お母さんに抱かれた子供の足からサンダルが脱げて落ちました。

転がってきたサンダルを拾って渡すとお母さんは「アッ」と言ってひったくるようにサンダルを取りました。女の子は「ありがーー」と笑顔で言ってお母さんの顔を見たとたん「うぅーー」と小さな声になって下を向いてしまいました。

女の子の嬉しさも、感謝の素直な気持ちも、共有できなかったお母さん。サンダルを落とした子供への非難だけがあって、拾ってもらったことへのお礼の気持ちが持てなかったお母さん。
ちゃんとお礼を言えた小さな女の子の心の芽を摘んでしまったお母さんの態度に、私はとても残念な、切ない気持ちになりました。女の子がかわいそうに思えました。

きっとお母さんは疲れていて心に余裕がなかったのだろうと思います。でもお母さんが一言「ありがとうございます」と言えたら、子供はどんなに嬉しかったでしょうか!そしてどんなにお母さんを誇らしく思ったことでしょうか!

とっさに声が出るということは大切なことです。お母さんの何気ない態度が、子供の成長に、子供の価値観に大きな影響を与えるということを是非忘れないで頂きたいと思います。



2005.10.21初出

穏やかな力強い声

ちょっと早めに梅雨が明けて、連日暑い日が続いています。

地球温暖化の影響は確実に世界中に現れていて、地球上の生物がさまざまな危機に立たされています。あるところでは砂漠化が進み、潮の流れが変わり、大雨が降り、洪水にさらされ、台風やハリケーンが荒れ狂い、竜巻や山火事が猛威をふるっています。

人間社会も、熱いトタン屋根の上の猫のように、総毛だって、ヒステリック状態になりかかっているように見えます。そして世界の政治家達は自らの欲望の虜となり、ほとんどなすすべを持たず手をこまぬいています。

わたしたちは今こそ落ち着いて、しっかりと地に足をつけて生きてゆく必要があります。
こんな時こそ穏やかな声で、思慮深い会話を交わすことが何より大切です。本当に力強い穏やかな声が求められています。
私たちは、しっかりと声を聞き分けなければなりません。

あのヒットラーの声を思い出してください。
ヒステリックな、人を不安に陥れる声です。あの声に煽られて人々は浮き足立っていきました。
私たちは二度とあのような悲劇を繰り返してはなりません。ヒステリックな不安定な声の持ち主を、たとえ顔がよくても、わたしたちの国のリーダーに選んではならないのです。

ヒステリックに煽るマスコミの論調にも気を付けなければなりません。
私達は、本当に穏やかな力強い声とはどんな声かを知らなければならないのです。

私たち自身が落ち着いてものを考えられるような、私たちが自信を持って歩くことが出来るような、そんなコミュニケーションが生まれてくる声が本当に良い声といえると思います。
私たちはよい声を出す努力をしなければならないのです。お互いの幸せのために!大きくいえば、世界の平和を実現するためにも!!

7月10日、町屋のムーブホールで行われた、ギターと朗読のコラボレーションの公演、お蔭様で、成功裡におわりました。公演に来てくださった皆様、本当にありがとうございました。
たくさんのお客様の熱い声援の中で、私たち一同、一生懸命に、また楽しく、演ずることが出来、たくさんの力を頂きました。この経験を生かしてこれからもますます励んでまいりたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

また、一緒にやってみたいと思われる方、大歓迎です。是非教室をのぞきに来てください。
お待ちしております。

 
2005.7.21初出

言葉は文化

 今年も6月から台風がやってきました。明らかに地球のサイクルは変わってきていますね。梅雨の時期はじめじめと蒸し暑くてなんともすごしにくい日が続くのですが、それでも見方を変えれば、雨にぬれて緑がつややかになっていくさまもなかなか良いものだと思います。心も少ししっとりと落ち着くようなときになれば良いですね。

 このところ気になっているのは、またまた駅と車内のアナウンスです。駅のアナウンスは毎日毎日聞くものですし、電車の車内アナウンスも毎日何回も聞くものですから、喋っているほうの当人が思っているよりもはるかに多くの人々に、思いもかけない影響を与えているものです。そう考えればラジオのアナウンサー並みの訓練が必要だと思いますが、JRや鉄道各社はどのような訓練をしているのでしょうか?

 車掌さんの車内アナウンスを聞いて電車に乗っていた男子学生(大学生と思われる)3人が話しているのが聞こえました。
「何であんな変なしゃべりかたをするのかなあー」
「結構インパクトがあるようにわざとやってんじゃないの」
「でもなんかきもちわるいよなあー」
―――そのときのアナウンスは音が再現できませんので上手く伝わらないと思いますが、なんとも癖のある気持ちの悪い声としゃべり方だったのです。
本人はきっと工夫をしたつもりでちょっと気どって喋っていたのかもしれませんが。

 わたしも、その声をもう聞かなくてもいいように、はやく電車を降りたいという気持ちでいっぱいでした。自分は一生懸命にやっているのに、乗客を不快にさせたり、いらいらさせてしまっているのはまずいことだと思います。そのことに気がつけば、声の出し方も、しゃべり方も、心地よいものに変えられるのです。やはり他人に聞かせるということをもっと大切に考えて欲しいものです。乗客を安心させられるということは、安全を守るのにも欠かせない要件です。

 もうひとつ、駅に流れているプロのアナウンサーのテープの音声にも問題があります。
わたしが通勤しているJR東日本の京浜東北線や宇都宮線の駅に流れているテープは、「普通列車」が「くつう」と聞こえるのです。これは「フ」という音を出すときの唇の形が問題なのです。ことばのはじめの音が出しにくい状態になっている人が増えているように思います。たとえば「おはようございます」というとき、最初の「お」の音が出ずに「はようございます」といっている人が多いのに気づきませんか?
よく気をつけて聞いてみてください。

 プロでも発音が出来なくなっているということは、日本語が雑になってしまっているということだと思います。言葉は文化です。日本の文化を根底から見つめなおすことは、アジアのなかの日本を、わたしたちの生き方を見つめなおすことにもなるでしょう。自分たちの文化を大切にすることは、他の国の文化も大切にすることです。

 良い声を出して、良い関係を築くようお互いに努めましょう。

 
2005.6.7初出

いのちの声

日本列島を縦断した台風が大きな被害をもたらしたうえに、大地震に見舞われた新潟の皆さんに心からお見舞い申し上げます。11月に入ってもまだ強い余震が追い討ちをかけて、災害の復旧もままならず、冬を前にした被災地の皆さんの思いはいかばかりかと、胸を締め付けられる思いです。
皆川優太ちゃんの奇跡的な生還は、多くの人達に大きな喜びと勇気を与えましたが、同時に母と姉を失った悲しみは、其れを知ったとき、小さな心にどんな思いを残すか、お父さんやおじいさんおばあさんの胸のうちには、計り知れない苦しみがあることでしょう。

天災は本当に突然やってきて私たちの日常を大きく変えてしまいます。いつも変わらぬ日々が淡々と過ぎていくことに何の疑問も持たずに毎日を過ごしている私たちですが、一旦事が起これば何もかもが変わってしまうのです。今まで築きあげてきた暮らしのすべてを失ってしまった人も何人もいます。これからどうやって生きてゆけばいいのか、途方にくれてしまうでしょう。

そんな中での唯一の救いは、お互いに言葉をかけ合い、助け合って、人の心の温かさにふれることのできる瞬間をたくさんもてることだと思います。

あの優太ちゃん救出の場面でも大きな役割を果たしたのは人の声でした。

救助隊員たちは、瓦礫の中に埋まっている車に向かって、何度も何度も大きな声をかけました。その声を聞き取った優太ちゃんは、きっと身体中に力がわいてきたに違いありません。

精一杯答えた優太ちゃんの声は、救助隊員の耳に届きました。「あっつ、だれかいる!いきているぞ!」その声で彼らは勇気100倍!多くの危険を跳ね除けて優太ちゃんを無事救い出したのです。

「まず声をかける」というのは救助の基本だと救助隊長さんは語っていました。

人の声がどれほど人を勇気付けるかを物語るものだと思います。私たちの声が、こんなにも人を励ますことが出来るものだということを、そして元気のいい声を出せたとき、その声は自分自身をも力づけ支えてくれるものだということを、よくよく私たちは肝に銘じたいと思います。

 
2004.11.9初出

楽しいボイスパフォーマンス

10月に入っても暑いなーと思っていたら、急に気温が下がって、雨模様となってしまいました。地球温暖化の傾向は、今後どんな形で現れてくるのか、とても心配です。動物や、植物や、虫たちは、そして海の中の魚たちも敏感に反応し、その生態系が変わってきていますが、人間は一番鈍感で、だから自然破壊もなかなかやめようとしません。特に強大国であるアメリカが戦争をやめないことも含めて、環境破壊の尖兵となっているのは由々しきこと。私たちはもっと真剣に生活をスローダウンさせて、自然との共生を考え実行して行かねばならないと思います。

日本は平和憲法を掲げて世界を平和にするために先頭に立って奮闘することが求められていると思いますが、残念なことに小泉政権を先頭に今日本は戦争をする国への傾斜を強めています。

一回転がってしまうと止めるのは本当に難しくなります。皆さんもどうぞここで踏ん張って、平和を守り、広げるために力を発揮してください。

私たちボイストレーニング教室の面々は10月2日に、長野県黒姫高原の黒姫童話館で「みんなで楽しむボイスパフォーマンスと朗読の世界」と題して公演を行ってきました。

ボイスパフォーマンスは、日ごろ教室で行っている発声体操を組み合わせてパフォーマンスに仕上げたもので、見ても楽しく、やっても気持ちの良いものです。

朗読の世界は、小川未明の童話「赤いろうそくと人魚」の世界を群読という形で表現しました。

見てくださった方たちがお子さんからお年寄りの方まで、皆さん喜んでくださったのを私たちもとてもうれしく感激いたしました。そのときの写真を準備でき次第掲載いたしますのでご覧下さい。
なお、来年の7月に今度は東京で再演する話があります。また具体的に決まり次第ご案内いたしますので、どうぞ観に来て下さい。

 
2004.10.5初出

夏こそ心地よい声を

気象庁が観測を始めて以来の出来事であった、台風6号の日本襲来で、梅雨は一気に吹き飛ばされたかと思いきや、まだぐずぐずとしながらも、暑い夏を垣間見せて7月がやってきました。
今年は、温暖化傾向が一段と進んで、厳しい夏が予想されています。

人々ものんびりと声を出すどころではなく、ただフウフウと汗をかいて、青息吐息の有様、日本の夏のおおらかな風物詩がどこかへ消えて行くのも寂しい限りに思えます。

夏こそ、心地よい声を出して、のんびりと、おおらかに、自然の中ですごしたいもの。

このひとときが、自然の声を甦らせ、私たちの身体は奥のほうからその響きを感じて、みずみずしい生命を蘇らせるのです。

ゆったりとした時間と空間の流れが心地よく私たちを包むとき、えもいわれぬ自然の奏でる音楽があたりに満ちてきます。その音に呼応してわたしたちも、身体を大きく伸ばし膨らまし、気持ちよく声を発して、その自然の音楽に共鳴したとき、私たちは心から喜びに包まれて、身も心も清められたような気がすることでしょう。きっとすばらしい命の洗濯が出来るに違いありません。

自然の中で、思いっきり大きな声が出せるチャンスのある夏!

是非皆さんもそんな夏を過ごしてください。

 
2004.7.1初出

大きな声を出してみませんか

いよいよ梅雨の季節ですね。
湿気の多い季節になると、身体の節々が痛くなったり、足が重く感じられたり、気分がはればれとしないだけではなく、身体のほうもすっきりしなくなります。
こんな季節には、ときどき大きな声を出して、身体も心もすっきりさせましょう。

発声はストレス解消にもとても効果があります。気持ちのいい発声をしてください。
気持ちの悪い声を出すと、出した本人が気分が悪くなってしまうばかりでなく、その声を聞いた人も、本当に気分が悪くなってしまいます。
いやな声を出すことは、ストレス解消どころではなく、よりストレスを強く感じたり、また感じさせたりしてしまうのです。

ストレスを解消するためには、良い声を出すことこそ大切です。
良い声とはすなわち、自分にも他人にも、気持ちよく響く声のことです。
しかし、私たちの身の回りに大きい声を出せる環境がなかなかありませんね、特に都会の中では。

日本では公園の中でも大きな声で発声練習をしている人にはめったにお目にかかりません。
中国では発声が健康法であることがよく知られているからでしょうか、北京にある天壇公園や、い和園などでは朝早くから大勢の人が集まって、気功や、太極拳やダンスなど色々な健康法を行っていますが、その中に必ずといっていいほど大きな声を気持ちよく出している人たちがいるのです。
声を出している人達もとても気持ちがよさそうですし、その声を聞いている私たちもとてもいい気持ちになるのです。

そんな風に大きな気持ちのいい声を出せる場所を探して、一度やってみてください。公園とか、競技場とか、川原とか、山の中とか、鉄橋の下とか。
思い切って、ちゃんと声を出して挨拶するだけでもいいのです。梅雨空の下でお互いにのびやかに挨拶してみましょう。きっと一日が明るい日になると思います。

2004.6.1初出

あなたはとっさに声が出ますか?

少し前、あちこちで、すれちがいざまに子供が頭を殴られたり、顔をひっぱたかれたりする事件が相次ぎました。幸いなことに致命傷に至るものは無かったようですが、突然殴られた子供たちはさぞかしびっくりし、改めて恐怖に駆られたことでしょう。弱いものに不意打ちを食らわし、自分の鬱憤を晴らそうとするのは本当に卑怯な許せない行為です。
私たち人間は、いや人間以外の動物たちも、危険に遭遇したとき、思わず悲鳴をあげたり、驚きの声を発して、誰かに助けを求めて身を守ろうとするものです。しかし不意打ちに遭うと人はほとんど声を出すことが出来ません。なぜなら、その瞬間に息を呑んでしまうからです。声は、息を吐くときに出るもの、息を呑んでしまえば当然声にはならないのです。
そして息を呑んだ瞬間はほとんど思考停止状態に陥ってしまうので、何が起こったかよく分からないという状態になってしまいます。犯人はそれを利用してまんまと逃げおおせてしまうのです。しかし、命を守るためにはとっさに声が出るということが大切です。
息を呑むより早く声が出ること、「あーっ」「わーっ」と大声が出れば、相手は一瞬ひるみ、力が失せるのです。自分が物を落としたり、穴に落ちたりするときも一瞬早く声が出ていると、何とか人の注意をひくことが出来ます。そして相手に危険を知らせたり、助けてもらえたりするのです。
とっさに声が出るということは、危険を察知する能力と、それに機敏に反応する能力が必要です。現代人は色々な道具に守られて、本来人間がもっていた予知能力を衰えさせてしまったのでしょう。ボイストレーニングは、とっさに声が出る肉体条件をつくる訓練でもあります。どうぞ一度試してみてください。

2004.4.1初出

アナウンサーのしゃべり方について

最近アナウンサーの喋りが気になるという声をよく聞くようになりました。
伸びのない発声、舌足らずな発音、深みのない声、つるつると上滑りをする表現は、映像の持つ強力なインパクトと、短いカット、スピードある変化にのって、刺激的で単調な音へと傾斜していったテレビの表現が、微妙なやわらかい音の表現力の豊かさをほとんど忘れてしまったことと無関係ではないでしょう。
テレビが始まってもう50年。テレビ時代のアナウンサーは、まず声より顔が重視されるのは、今や当たり前となっています。テレビを担った最初のアナウンサーはラジオ育ちでした。つまり顔よりも声を優先して採用され、声の訓練をして電波に声を乗せた人たちです。
しかし今は、まず顔の印象が優先される。それに見栄え、学歴、語学力などで、声はあまり重要視されない。しゃべりの素人っぽさが好感をもたれると何故か思われています。
けれど当のアナウンサーは仕事をしだすとそれでは済まない。結構一生懸命に勉強する、またはしたいと思うのですが、十分な訓練を受けないまま画面に登場することになってしまい、そのまま突っ走るのが一般的です。
もう大分前からですが、音声だけ聞いていると何を言っているのか分からなくて、わざわざ画面を見に行って初めて状況が分かるというようなニュースアナウンスに出くわすことがあって、困ったことだと思っています。
目の見えない人も聞いているのだから、やはり送り手側の見識と努力が求められると同時に、視聴者からの適切な批判も大切だと思います。
どうぞ皆さん、放送局にどんどん意見を言ってください。

2004.3.1初出

車内アナウンスについてもう一言

よく知らない町の駅に行くときは、車内アナウンスがとても強い味方です。車内が混んでいると、駅の表示が見えにくい。また、電車が走り出してからは、一生懸命見ようとしても次の駅名を見逃してしまうこともままあります。そんなとき車掌さんの明瞭なアナウンスを聞くとほっと安心して、思わず「ありがとう」と言いたくなります。
けれど、声がよく聞こえない、言葉が聞き取れない、早口で何を言っているのか分からないアナウンスにもよくぶつかる。そんな時は、緊張し不安になって、非常に疲れてしまいます。
最近はマイクの性能も、スピーカーの性能も決して悪くないはず。逆にスピーカーの音量が大きすぎて、余計聞き取りにくい場合もあります。スピーカーの音量は適量にして、ちゃんと通る声を使えば、苦もなくちゃんと聞き取ることが出来る筈です。要はしゃべる人間の方の問題でしょう。
声が無駄なくマイクに乗り、心地よくはっきりと響くように、車掌さんや駅員さんは是非ボイスの研修をしていただきたい。それこそ大事な、お客様へのサービスではないでしょうか。


2004.2.1初出

大きい声ならいい声か?

先日、仕事先から事務所へ戻ろうとしたときの事です。
駅のホームへ行くとアナウンスがありました。
「先ほど、埼京線の××駅で人身事故がありました。この電車は大崎止まりとなりますので、渋谷方面に行く方は山手線にお乗換えください。」
アナウンスの音は大きく響いていましたが、駅名のところがどうしても聞き取れません。気になるので、車内アナウンスも注意深く聞いていましたが、やっぱり分からない。よほど言いにくい駅名なのかもしれませんが、それがいちばん知りたい情報です。なんだかだんだんイライラしてきてしまいました。
はっきりしない言葉をマイクで大きくしてもますますはっきりしないことが明確になるだけで、聞くほうのストレスはよりいっそう高まってしまうのです。
まず、言葉をはっきり分かるようにしゃべるのが、駅アナウンス、車内アナウンスの大切な基本であることを、JRの担当者は肝に銘じてほしいと思いました。


2004.1.1初出
休講のお知らせ
2022年2/23(水)笹塚教室は
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プロフィール

彩声

Author:彩声
宮崎絢子


株式会社 彩声
代表取締役社長

ボイスコンサルタント

元テレビ東京アナウンサー。
現役時代は報道番組の司会やプロデューサーとしても活躍。
定年退職後、ミヤザキ式ボイストレーニングを構築し、2000年に教室をオープン。
広く、声の重要性を伝えるために活動中。

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